ドキシペップ(Doxy-PEP)とは?
- 性行為後72時間以内に抗菌薬を内服する予防法 抗生物質(ドキシサイクリン200mg)を1回服用することで、発症を防ぎます。
- 梅毒・クラミジアのリスクを約70%以上低減 ※米国NEJM誌掲載の臨床試験など、高いエビデンスが示されています。
- リスクがある希望者へ処方可能 ※公式ガイドラインではMSM等が主な対象ですが、当院ではセックスワーカーの方や性活動が活発な方への「自衛手段」として、希望者に処方を行っています。
当院では、CDCガイドラインや厚生労働省研究班の手引き案に基づき、リスクとメリットを十分にご理解いただいた上での処方・相談を行っています。
「コンドームが破れてしまった」「不特定多数との行為があり不安だ」
これまで、細菌性の性感染症(クラミジア、梅毒、淋菌)には、ワクチンのような事前の予防策がほとんど存在しませんでした。
しかし近年、欧米を中心に新たな予防戦略が登場し、世界的な注目を集めています。それが「ドキシペップ(Doxy-PEP:Doxycycline Post-Exposure Prophylaxis)」です。
これは、性行為の“後”に抗菌薬を服用することで感染の成立を阻止しようという試みです。米国CDC(疾病予防管理センター)は2024年にガイドラインを更新し、特定の高リスク群に対してこの予防法を推奨しました。 本ページでは、この新しい予防法の仕組み、期待される効果、そして知っておくべきリスクと「適応の限界」について、最新の医学的知見に基づき解説します。
1. Doxy-PEPの仕組み:性行為後72時間以内の内服とは
Doxy-PEP(ドキシペップ)とは、「ドキシサイクリン(Doxycycline)」というテトラサイクリン系の抗生物質を、性行為の後に予防的に服用する方法です。
正式名称は Doxycycline Post-Exposure Prophylaxis(ドキシサイクリン曝露後予防)といいます。
この薬は従来、クラミジア感染症や梅毒の「治療薬」として、あるいはマラリアの「予防薬」として長く使われてきました。それを性感染症の予防に応用したのがこの手法です。
具体的な服用プロトコル
※遅くとも72時間(3日)以内に服用しなければ効果が期待できません。
※毎日飲む必要はありません(行為があった時のみ)。
なぜ「感染」を防げるのか?
性行為によって病原菌が体に入っても、すぐに「発症」するわけではありません。細菌が粘膜に定着し、細胞内で増殖して炎症を起こすまでには一定の潜伏期間があります。
Doxy-PEPは、細菌が本格的に増殖を始めて定着する前(インキュベーション期間)に、高濃度の抗菌薬を血中に送り込むことで、「感染が成立する前に菌を叩く」というメカニズムで効果を発揮します。
予防できる疾患・できない疾患
ドキシサイクリンは「細菌」に対する薬です。したがって、ウイルス性の性感染症には効果がありません。
| クラミジア | ◎ 効果大 最も高い予防効果(約70〜80%減)が確認されています。 |
|---|---|
| 梅毒 | ◎ 効果大 クラミジア同様、高い予防効果が示されています。 |
| 淋菌 | △ 限定的 淋菌は薬剤耐性を持っていることが多く、効果は約50%程度とやや落ちます。 |
| HIV・ヘルペス・HPV | × 無効 これらは「ウイルス」であるため、抗生物質は効きません。 ※HIV予防には別途「PrEP(プレップ)」が必要です。 |
PrEP (Pre-Exposure Prophylaxis):曝露「前」予防
事前に薬を飲み続けておくことで予防する方法。HIV予防薬(ツルバダ等)が代表的です。
PEP (Post-Exposure Prophylaxis):曝露「後」予防
事後に薬を飲むことで感染成立を防ぐ方法。今回のDoxy-PEPはこちらに分類されます。HIVにもPEP(曝露後72時間以内の抗ウイルス薬内服)がありますが、使う薬は全く別物です。
2. エビデンス:クラミジア・梅毒への予防効果
Doxy-PEPの有効性を決定づけたのは、2023年に世界最高峰の医学雑誌『New England Journal of Medicine (NEJM)』に掲載された米国の大規模臨床試験です。
この研究では、過去1年間に性感染症の既往があるMSM(男性間性交渉者)およびトランスジェンダー女性501人を対象に、Doxy-PEPを行ったグループと行わなかったグループを比較しました。
劇的なリスク低減効果(米国DoxyPEP試験)
▼ 細菌性STI(性感染症)全体の発症リスクが約66%減少(3分の1に低下)
※HIV PrEP利用者およびHIV陽性者におけるデータ
この結果を受け、米国のサンフランシスコなど一部地域ではガイドライン導入後の地域全体のクラミジア・梅毒発生率が低下したとの報告もあり、公衆衛生レベルでのインパクトも注目されています。
重要な注意点:効果が確認されていない集団
上記のような高い効果は、現時点では「MSM(男性間性交渉者)およびトランスジェンダー女性」においてのみ証明されています。
ケニアで行われた若年女性を対象とした臨床試験では、有意な予防効果が確認されませんでした。
ただし、この研究では「参加者が薬を指示通りに飲んでいなかった(アドヒアランス不良)」可能性が高かったと指摘されています。
解剖学的な違いはあるものの、理論上は女性であっても適切に服用すれば一定の効果が期待できる可能性は残されており、現在も追加の検証が行われています。
3. 誰が対象?ガイドラインと当院の適応基準
国際的なガイドラインでは、エビデンスの確実な一部のグループ(MSM等)に推奨が限定されています。
しかし当院では、「ガイドラインの枠に当てはまらないからといって、感染リスクに晒されている方を放置しない」という方針をとっています。
積極的に推奨される方(エビデンス確立済み)
- 男性と性交渉を行う男性(MSM)
- トランスジェンダー女性
- 過去1年以内に性感染症の既往がある方
当院では処方可能な方(希望者への提供)
以下のグループについては、現時点では大規模なデータ不足によりガイドライン上の「強い推奨」には含まれていません。
しかし、性活動が活発な方や、職業柄リスクを避けられない方(セックスワーカーの方など)にとって、予防の選択肢を持つことは重要です。
当院では、医師と相談の上、メリットがリスクを上回ると判断できれば処方を行っています。
- セックスワーカー(CSW)の方:職業上の感染リスクが高い場合。
- 異性間性交渉を行う男性・女性:不特定多数との接触があるなど、ご自身でリスクを感じている場合。
- パートナーが感染している等の事情がある場合
※女性への効果は確定的ではありませんが、「何もしないよりは予防したい」というご希望には寄り添います。
4. 懸念されるリスク:副作用と「薬剤耐性菌」の問題
Doxy-PEPは高い予防効果を持つ一方で、「薬」である以上、副作用や長期的なリスクが存在します。 メリットだけでなく、これらのリスクを正しく理解した上で導入を決定することが不可欠です。
主な副作用と対策
吐き気、胃のむかつき、下痢などが起こることがあります。
多くの場合は軽度で一過性ですが、空腹時を避けて服用することで軽減できる場合があります。
日光に対して皮膚が敏感になり、日焼けや発疹が出やすくなることがあります。
服用後数日間は、強い紫外線を避けるか、日焼け止め対策を行うことが推奨されます。
ドキシサイクリンが食道に留まると、粘膜を荒らして潰瘍を作ることがあります。
服用時は「コップ1杯(約200ml)以上の多めの水」で飲み、服用後「30分〜1時間は横にならない(寝ない)」ようにしてください。
社会的なリスク:「薬剤耐性菌(AMR)」の出現
ドキシペップの最大の懸念点は、抗菌薬の乱用による「薬剤耐性菌(薬が効かない菌)」の出現と蔓延です。 対象外の方が安易に予防内服を続けると、以下のようなリスクが高まります。
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淋菌の耐性化加速
淋菌はすでに多くの薬に耐性を持ち始めています。ドキシサイクリンが効きにくい淋菌がさらに選択的に生き残り、将来的に治療薬が尽きてしまう恐れがあります。 -
常在菌への影響
腸内細菌や皮膚の常在菌、あるいはマイコプラズマ・ジェニタリウムなどが耐性化し、ご自身の健康に影響を及ぼす可能性があります。
当院のスタンス:
私たちは、目の前の患者様の感染予防(個人の利益)と、将来の医療を守るための耐性菌対策(社会の利益)のバランスを慎重に判断します。
5. 日本の現状とモイストクリニックの処方方針
国内の現状 自由診療(自費)として提供可能です
現在、日本ではDoxy-PEPは保険適用外ですが、自由診療として医師の裁量で処方することが可能です。
当院は性感染症専門クリニックとして、患者様の「自分の身を守りたい」という意思を尊重し、希望される方へのアクセスを確保しています。
「希望者には処方する」当院のスタンス
ガイドラインや耐性菌への配慮は重要ですが、それによって目の前の患者様が感染してしまうことを防ぐのが先決であると私たちは考えています。
特にセックスワーカーの方や、セクシャルアクティビティの高い方は、日々高い感染リスクと隣り合わせです。
当院では、以下のフローで安全性に配慮しつつ、希望者にはスムーズに処方を行っています。
※今感染している場合は、予防量(200mg単回)ではなく治療量が必要になるためです。
※補足:
Doxy-PEPは強力なツールですが、HIVやHPVは防げません。コンドームやワクチン(HPV・B型肝炎)など、他の予防手段も組み合わせることで、より安全に性生活やお仕事を楽しめるようサポートいたします。
金谷 正樹Masaki Kanaya
モイストクリニック 院長国際医療福祉大学病院、東京医科歯科大学病院(現 東京科学大学病院)などで研鑽を積み、モイストクリニックにて性感染症を中心に診療を行う。日本性感染症学会会員。細菌学と免疫学の専門知識を活かし、最新のエビデンスに基づいた「患者さまとパートナーさまが幸せになれる医療」の実践を目指している。
