PEP(暴露後予防)は、72時間以内に抗HIV薬の内服を開始し、「28日間飲み切る」ことで感染を阻止する治療法です。
かつては副作用の強い薬が使われていましたが、現在は医学の進歩により「副作用が少なく、1日1回1錠で済む」レジメン(組み合わせ)が世界的な主流となっています。
このページでは、国内外の標準的なガイドラインと、当院が採用している「成分は同じで続けやすい」処方について専門的な視点で解説します。
1. PEP薬剤の仕組み(作用機序)
PEPの効果を理解するには、HIVが体内でどのように増殖し、薬剤がそれを「どの段階で」止めるのかを知る必要があります。
日本および米国のガイドラインで使用される薬剤は、主に以下の2つのステップでウイルスの侵略を食い止めます。
侵入したHIVは、自分の遺伝子(RNA)をヒトの遺伝子(DNA)に変換しようとします。ここで「逆転写酵素」という大工道具を使います。
偽物の材料(薬剤)を紛れ込ませることで、DNAの鎖を途中で強制停止させます。
(鎖停止反応:Chain Termination)
書き換えられたウイルスDNAは、ヒトの核内に入り込み、本物のDNAに結合(インテグレーション)しようとします。これが完了すると「生涯続く感染」が成立してしまいます。
結合に必要な酵素(インテグラーゼ)の働きを阻害し、ウイルスが細胞に定着するのを完全に防ぎます。
ここがPEPの勝負を決める「キードラッグ」です。
「1種類の薬ではダメなのか?」という疑問に対して、医学的には明確な理由があります。
HIVは非常に変異しやすいウイルスであり、単剤(1種類)だけでは、その薬が効かない「耐性ウイルス」が偶然生まれた瞬間に、防御を突破されてしまうからです。
確率論的な「鉄壁の防御」
例えば、ウイルスが1つの薬に対して耐性を持つ確率が「1万分の1」だとします。
しかし、作用機序の違う3つの薬を同時に使えば、その確率は「1万 × 1万 × 1万 分の1」、つまり「1兆分の1」という天文学的な確率になります。
3剤を併用することで、ウイルスに逃げ道を与えず、理論上ほぼ100%に近い確率で感染成立を封じ込めることが可能になります。
これが、世界中のガイドラインが3剤併用(HAART療法準拠)を推奨している理由です。
2. 国内外の標準ガイドライン(厚労省・CDC推奨)
PEPに使用する薬剤は、各国のガイドラインによって厳密に定められています。
日本国内の基準と、世界的な感染症対策の指標となる米国CDCの基準、それぞれの「推奨レジメン(薬剤の組み合わせ)」を正確に解説します。
| キードラッグ (インテグラーゼ阻害薬) |
アイセントレス®錠 400mg 成分:ラルテグラビル(RAL) 1日2回 1回1錠を、12時間ごとに服用 |
|---|---|
| バックボーン (NRTI 2剤) |
ツルバダ®配合錠 成分:テノフォビル(TDF) 300mg / エムトリシタビン(FTC) 200mg 1日1回 1回1錠を、24時間ごとに服用 |
厚生労働省研究班のガイドラインでは、最も使用実績が長く、妊婦への安全性データが豊富な「ラルテグラビル(RAL)」と「TDF/FTC(ツルバダ)」の組み合わせが推奨されています。
注意点として、アイセントレスは1日2回(朝・夕など)の服用が必要であり、飲み忘れに十分な注意が必要です。
| 選択肢 A (ラルテグラビル併用) |
Raltegravir (RAL) 400mg 1日2回 |
|---|---|
| Truvada (TDF/FTC) 1日1回 | |
| 選択肢 B (ドルテグラビル併用) |
Dolutegravir (DTG) 50mg 1日1回 ※成分名:テビケイ®等 |
| Truvada (TDF/FTC) 1日1回 |
米国CDCでは、日本の推奨と同じ「ラルテグラビル(RAL)」に加え、1日1回の服用で済む「ドルテグラビル(DTG)」も同等に推奨されています。
また、近年では腎機能への影響が少ない「TAF/FTC(デシコビ)」や、それらを含む配合錠(ビクタルビ等)の使用も、専門家の判断により代替可能(Alternative)とされています。
日本のガイドライン(RAL)に従う場合、1日2回の服薬管理が必要です。
一方、米国CDCガイドライン(DTG)を選択する場合、1日1回の服薬で同等の予防効果が得られます。
PEP成功の鍵は「28日間飲み続けること」にあるため、当院では飲み忘れのリスクを減らすために、米国基準に準じた1日1回投与のレジメンも積極的に採用しています。
3. 当院の処方:最新トレンドとコストの両立
前述のガイドラインを踏まえ、当院では医学的合理性と患者様の負担軽減(飲みやすさ・費用)を最優先に考えた独自の処方戦略をとっています。
具体的には、世界的なHIV治療の第一選択薬である「ビクタルビ®配合錠」と同成分のジェネリック医薬品(Taffic)を採用しています。
古い世代の成分が含まれる
推奨薬の一つ「ツルバダ」に含まれるTDF(テノフォビル)は、腎機能や骨密度への負担が懸念されています。
また、1日2回の服用が必要で、飲み忘れによる失敗リスクがありました。
最新の合剤(STR)を採用
腎臓に優しい改良型成分「TAF」と、強力な「ビクテグラビル」を1錠に配合。
1日1回1錠で済むため、飲み忘れを極限まで減らせます。
当院採用薬:Taffic(タフィック)の成分詳細
Tafficは、米ギリアド社が開発した世界シェアNo.1のHIV治療薬「ビクタルビ®(Biktarvy)」のジェネリック医薬品です。
1粒の中に、作用機序の異なる3つの成分が配合されています(配合剤)。
| 💊 Taffic 配合成分(1錠中) | |
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ビクテグラビル (Bictegravir) 50mg
インテグラーゼ阻害薬
最新の第2世代INSTI。ウイルスDNAの組み込みを強力にブロックします。ラルテグラビルと同等以上の効果を持ちながら、1日1回投与で効果が持続します。
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エムトリシタビン (FTC) 200mg
NRTI
ウイルスのDNA合成を阻害する「土台」となる薬。副作用が少なく、長年使用されている信頼性の高い成分です。
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テノフォビルアラフェナミド (TAF) 25mg
NRTI (改良型)
【重要】 従来のTDF(ツルバダ成分)を改良した成分。約10分の1の投与量で同等の効果を発揮するため、腎臓や骨への副作用リスクが大幅に軽減されています。
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先発品(ビクタルビ)は非常に優れた薬ですが、薬価が高額(1ヶ月分で約18万円前後※自費の場合)なため、緊急時のPEPとして導入するにはハードルが高いのが現状です。
当院では、成分・効果が同等(生物学的同等性あり)のジェネリック薬を採用することで、最高水準の治療を、現実的な価格で提供することを実現しました。
※当院の採用薬は、FDA(米国食品医薬品局)の承認を受けた製造施設で作られた信頼性の高い医薬品を、医師が責任を持って輸入・処方しています。
4. 主な副作用と対処法(忍容性について)
「強い薬を飲むと副作用が怖い」というイメージを持たれるかもしれませんが、当院で採用している最新のPEP薬(ビクテグラビル/TAF/FTC配合剤)は、従来の薬剤に比べて副作用の発現率が著しく低いことが臨床データで証明されています。
とはいえ、体調や体質によっては軽度の不調が出ることがあります。
よくある症状と、自宅でできる対処法をまとめました。
「HIVの薬は腎臓に悪い」という話を聞いたことがあるかもしれません。
確かに、従来の成分(TDF:テノフォビル ジソプロキシルフマル酸塩)は、腎尿細管への毒性が懸念されていました。
しかし、当院が採用している「TAF(テノフォビル アラフェナミド)」は、TDFの約1/10以下の投与量で同等の効果を発揮するよう改良された成分です。
血中の薬物濃度が低く抑えられるため、腎臓や骨への副作用リスクは極めて低く、28日間の短期内服においては安全性が高いと評価されています。
副作用がつらいからといって、途中で服用をやめてしまうと予防効果が消失し、HIV感染のリスクに直結します。
もし「全身の激しい発疹」「黄疸(白目が黄色くなる)」「耐えられない腹痛」などが出た場合は、直ちに服用を中止し、当院へご連絡ください。
それ以外の軽度な症状であれば、お薬の変更や飲み方の工夫で継続できる場合がほとんどです。まずはご相談ください。
5. 飲み忘れた時・途中でやめたくなったら
PEPの効果を最大化するためには、血中の薬物濃度を一定に保つことが不可欠です。
しかし、28日間の生活の中で「うっかり飲み忘れた」というトラブルは誰にでも起こり得ます。その際の正しい医学的対処法を知っておきましょう。
その後、次の分はいつもの時間に飲んで構いません。
次のいつもの時間に、通常通り1回分を飲んでください。
※上記は1日1回服用レジメン(Taffic/Biktarvy等)の原則です。1日2回レジメンの場合は対応が異なりますので医師へ確認ください。
原則として、28日間飲み切るまでは自己判断でやめてはいけません。
ただし、以下のような特定の医学的状況においては、医師の判断で中止(早期終了)を許可する場合があります。
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💡 相手(感染源)のHIV陰性が確定した場合性行為の相手などが医療機関でHIV検査を受け、確実に「陰性」であると証明された場合(ウインドウ期を考慮した検査に限る)、PEPを続ける必要がなくなります。
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🤢 副作用がどうしてもつらい場合中止するのではなく、「薬の種類を変更する」ことで継続できるケースがほとんどです。
絶対に一人で悩んで服用を止めず、まずは当院へご連絡ください。制吐剤の処方やレジメン変更を検討します。
【注意】「何となく大丈夫そうだから」という理由での中断は、耐性ウイルスの出現や感染成立を招く最も危険な行為です。
6. エビデンスと最新研究(成功率の真実)
PEPの効果を裏付ける重要な研究が2つあります。
一つは「時間との勝負(緊急性)」を示す研究、もう一つは「現代の薬の確実性」を示す研究です。
「72時間以内」というルールの根拠となった研究です。
治療開始が遅れれば遅れるほど、ウイルスの定着を許してしまい、成功率が下がることが分かります。
解説: 48時間を過ぎるとリスクが跳ね上がります。「まだ72時間ある」ではなく、「今すぐ受診する」ことが重要です。
※上記は単剤でのデータであり、当院の3剤併用ではこれより高い効果が期待できますが、急ぐに越したことはありません。
インテグラーゼ阻害薬(当院採用薬の同系統)を使用した臨床試験です。
「薬の効果は最強だが、飲み忘れが課題である」ことが浮き彫りになりました。
薬のポテンシャルは完璧です。
サルの研究から「スピード(緊急性)」が、人間の研究から「飲み忘れないこと(継続性)」が、PEP成功の絶対条件であることが分かります。
だからこそ、当院では以下の処方を行っています。
- ✅ 最新のインテグラーゼ阻害薬(阻止率100%の実績クラス)
- ✅ 1日1回1錠タイプ(飲み忘れリスクを最小化)
不安な気持ちはあると思いますが、この薬を「今すぐ」飲み始めれば、未来を変えられる可能性は非常に高いです。
- Tsai CC, et al. Prevention of SIV infection in macaques by (R)-9-(2-phosphonylmethoxypropyl)adenine. Science. 1995.
- Mayer KH, et al. Safety and tolerability of raltegravir-based post-exposure prophylaxis… J Acquir Immune Defic Syndr. 2012.
国際医療福祉大学病院、東京医科歯科大学病院(現 東京科学大学病院)などで研鑽を積み、モイストクリニックにて性感染症を中心に診療を行う。
得意分野である細菌学と免疫学の専門知識を活かし、患者さまご本人だけでなく、そのパートナーさまも幸せになれるような医療の実践を目指している。
